副部長Tの壮大なる妄想

2025年3月6日

新入部員獲得数で敗北

2024年4月某日、カルチャー部長はほかの文化部より部員数などで大きく負けていることに憤りを感じていた。部長は以前、「めざせ新入部員30人!」としきりに言っていた。だが結局新入部員は10人程度だった。それに対し、美術部の新入部員はカルチャー部の2倍以上、吹奏楽部に関しては3年生の教室も使わなければいけないほど新入部員がいたようだ。部長はこれを不快に思い始め、カルチャー部以外の文化部を潰すことを考え始めた。

たかが1点、されど1点

2024年6月、美術部のY氏は確認テストで五教科合計で420点をとった。それに対し私カルチャー部副部長は、421点をとった。美術部のY氏は以前にも、1点差で私に敗北している。さらに、Y氏はY氏(と幽霊部員)を除くカルチャー部員全員に点数で負けてしまった。Y氏はこれに対して「カルチャー部員の点数が高すぎる。もう少し点数が低ければ良いのに。」とコメントした。

部長、宣戦布告

このことを知った部長は、「そんなこと言っても無駄。カルチャー部員の点数が高いのは不変の事実だ。」と、大して気にしていなかったが、良い言いがかりになると思い、「カルチャー部の評価を不当に貶めることは許されないもので、カルチャー部には報復の権利がある」という理由で、美術部に宣戦布告することを決定した。このとき、部長は吹奏楽部を運動部だと勘違いしていたため、「カルチャー部以外の文化部」に宣戦布告してしまった。これが、後にカルチャー部に大きなダメージを与えることとなった。

(ちなみにこのとき)当時美術部側では、このことはどうせカルチャー部長のしょうもないお遊びだろうと考えられていたようだ。しかし、現実はそうではなかった。牙を剥いたカルチャー部は、世界を変えていくこととなる。

軍の設立

カルチャー部はすぐに侵攻を開始するために軍を設立し、総司令官に副部長Sを任命した。カルチャー部の技術力を活かし進行までのわずか数日の間に、多くの兵器の開発に成功した。それらを以下に示す。

SK-24型自動小銃

なぜかカルチャー部の倉庫の中から見つかったAK-47。それを、副部長Sが独自に改造した自動小銃である。副部長Sが開発したので、automatic rifle Kalashnikov modified by sk in 2024、略して「SK-24」と名付けられた。しかし、改造とは言うものの「Culture Club is the best」と書かれたシールが貼られただけのため改造と言うかは微妙である。ただ、他のカルチャー軍の兵器と比べ非常に高火力だったため、簡単に人を○せてしまった。そのため、カルチャー軍は早い時期に使用をやめた。

侵攻開始

2024年7月7日。それは美術部襲撃から始まった。カルチャー部は持ち前のペーパークラフト製作技術を活かした武器を数多く投入した。

カルチャー
ペーパクラフト制作技術を活かした盾。(未使用品)これと同型のものが実際に使用された。

カルチャー部は戦力を集中させて南校舎二、三階間階段を制圧し、美術部員が奪回しようとしたところを奇襲して美術室を占領した。美術部は粟野中学校校舎外に本拠を置いて抗戦を続けた。

戦乱全国に広がる

そのとき、部長の意に反して宣戦布告してしまっていた吹奏楽部が動き出した。美術部と文化部連合を結成。さすがに人数が違い過ぎた。形勢は逆転した。カルチャー部は西へ西へと逃れ、圧倒的な人数の文化部連合が追いかけた。瀬戸内海沿いの中国地方が主戦場となった。関東でも、カルチャー部を支持する勢力と文化部連合を支持する勢力による小競り合いは後を絶たなかった。

生徒会の仲介で停戦(第二次下関条約)

カルチャー部は劣勢で、西へと追い詰められていたが、文化部連合軍が関門海峡を突破するのは容易ではなかった。関門橋や海底トンネルは狭いため、人数の多さが活きにくいのである。カルチャー部は地の利を生かしてゲリラ戦に打って出た。文化部連合は多大な損害を出した。

関門海峡の攻防が長引くと、強大な権力と軍事力を持つ生徒会が、ついに重い腰を上げた。停戦の仲介に名乗りを上げたのだ。両勢力ともに疲弊していたので、話は案外すぐにまとまった。1年間の停戦が定められたこの条約は、調印地にちなんで「第二次下関条約」と呼ばれる。(なぜ第二次かはご賢察ください)

Y氏、米国大統領に

カルチャー部が停戦の1年間を兵器の開発と日本国内の味方の取りまとめに費やしたのに対して、文化部連合は米国に拠点を移した。その頃米国大統領にはト⚪︎ンプ氏が返り咲いていた。Y氏は彼の「原爆投下肯定」発言を擁護した。日本人にそれについて批判ばかりされていたト⚪︎ンプは、「自分のことを理解してくれる日本人を初めて見た」と思い、彼に好感を持った。そしてY氏に米国籍と被選挙権を与えた。しかし、ト⚪︎ンプは体調不良で辞任してしまった。

その後、Y氏が共和党代表として大統領選に出馬することとなった。Y氏はアジア人差別を乗り越えて、超高齢のバ⚪︎デンを下し、米国大統領になった。

大米帝国建国される

Y氏が大統領になると、まず、9つの冷戦後の地域紛争を「世界大戦」と称して「米国は11の世界大戦を乗り切った最強の国家である」という考えを米国人に植え付けた。米国人たちは失いかけていたプライドに火をつけられた。そしてY氏を熱烈に支持した。支持率は90%を超えていたという。

そしてあるとき、Y氏は「アメリカ合衆国」から「大米帝国」に改称して自分は皇帝になる、と宣言した。国民投票の結果認められ、Y氏は大米帝国で全権を掌握した。

(参考)Y氏による世界大戦の定義
第3次世界大戦

Y1世の世界統一

故郷も帝国に占領され亡命

2XXX年、本州島全土が陥落。カルチャー部長は朝鮮民主主義人民共和国に亡命することを決めた。しかし、それを追う美術部は大米帝国から資金援助や情報提供を受けていた。なのでカルチャー部長が朝鮮民主主義人民共和国にいることは完全にバレていた。カルチャー部長はこの時点でも諦めずに全世界を支配するカルチャー帝国を建国する夢を見ていた。さらに、世界首都として人口5億人規模のネオツルガシティを建設する夢もまたみていた。末期のヒ○ラーのようだ。これは、修学旅行で敦賀に帰るとき人口が6万人しかいないことを悔しく思ったからだろう。

2XXX年の世界。世界は再び二分し対立している。朝鮮民主主義カルチャー共和国 Y3世が率いる大米帝国

開戦

2XXX年、ついに第十二次世界大戦が開戦した。誰もがこの戦争で朝鮮民主主義カルチャー共和国が敗北すると考えられていた。しかし、朝鮮民主主義カルチャー共和国にはカルチャー部長、さらに副部長や部員等も亡命していた。そのため技術力に関しては大米帝国を上回っていた。そのため人員で圧倒的な差がありながらも、 ロボット兵などを活用し善戦していたが、戦線は膠着していた。

クラスター原子爆弾

しかし、開戦から3年ほどたった頃、朝鮮民主主義カルチャー共和国は、世界初となるクラスター原子爆弾の生産に成功した。クラスター爆弾とは1つの親爆弾にたくさんの小爆弾を詰めたものだ。飛行機から親爆弾を投下した後、親爆弾からたくさんの小爆弾が放出される。不発弾が残ることがあるため、かつて多くの国が加盟する条約で禁止されていた。大米帝国も皇帝Y三世の慈悲の心により使用を自粛している。(慈悲の心があるならカルチャー部への攻撃をやめろと思うのは私だけだろうか)

ただ、朝鮮民主主義カルチャー共和国に慈悲の心を持つ余裕などなかったため、クラスター原子爆弾を大量生産、使用した。特に巨大クラスター爆弾「KITENe」「SCORE<400=NotHuman」「ITTENSA☆」「リトルマン」「ファットボーイ」は絶大な威力だった。攻撃ははじめに、日本の関東圏、各国の主要都市、大米帝国の東海岸、中東の油田、豪州の鉄鉱山などに仕掛けられた。

戦火の拡大と両国家の改称

は、夢か…

※現風紀委員長及びカルチャー副部長の名前とは関係ありません。

大きな関係があることが判明しました。誤った情報を掲載してしまい申し訳ありません。

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Posted by yuki